日本の年金の歴史|「何が変わって、老後にどう効く?」(1942〜2025)
「年金って、結局なにがどう変わってきたの?」
これ、めちゃくちゃ大事な疑問です。なぜなら年金は、改正のたびに“ルールの前提”が変わるから。
この記事では、厚生労働省などの公的情報をもとに、日本の年金の歴史を“一言で言うとこれ”+“具体的にどこが変わったか”で整理します。
この記事で得られること(老後にどう関わる?)
- 日本の公的年金が、1942年〜現在までどう変化してきたかがスッと入る
- 改正のたびに「対象者・支給年齢・年金額の決まり方・負担(保険料)」がどう変わったかが分かる
- 「なぜ今も制度が動き続けるのか」が理解でき、老後の作戦(働き方・受給・貯蓄)が立てやすくなる
- 今すぐできる行動(ねんきんネットで見込額・記録確認)が分かる
老後の不安は「お金が足りるか」だけじゃなく、制度を理解して“自分の選択肢”を増やせるかでかなり変わります。
0. まず前提|日本の年金は「2階建て」
- 1階:国民年金(基礎年金)…原則、日本に住む20歳以上の人みんなが土台として関わる仕組み
- 2階:厚生年金…会社員・公務員など、働き方によって上乗せされる仕組み
歴史を追うと、この「土台の広げ方」「上乗せの設計」「年金額の調整ルール」が、時代ごとに大きく動いています。
1. 年金の歴史は3ステージで見ると速い
- 創設期(〜1961):まず“制度を作る・対象を広げる”
- 充実期(1961〜):経済成長とともに“年金水準を上げる・守りを強くする”
- 高齢社会対応期:少子高齢化の中で“持続性・公平性の再設計”
2. 年表|「一言で言うとこれ」+「具体的に何が変わった?」
1942年:労働者年金保険のスタート
“まずは工場労働者を守る年金が始まった”
- 工場などの男子労働者を対象に、養老年金などを支給する制度が開始
- 背景には、福祉だけでなく労働力の維持・生産力の強化という目的もあった
年金は最初から「老後のため」だけでなく、社会全体の仕組みとして設計されてきた、というスタート地点。
1944年:厚生年金へ(対象拡大)
“工場だけ→会社員・女性にも広げた”
- 制度名が厚生年金保険へ
- 被保険者の範囲が事務職員・女性にも拡大
「どんな働き方をしているか」が年金に影響する構造が強まっていく流れ。
1948年:インフレ対応の“暫定措置”
“戦後インフレで、制度を守るために一時的に調整した”
- 急激なインフレで積立金の価値が下がり、制度が苦しくなる
- 養老年金の水準は凍結しつつ、障害年金などは増額
- 保険料率は約3分の1に引下げ(暫定)
「経済(物価・賃金)」が変わると、年金ルールも動く。これが今も続く“本質”。
1954年:年金を“2階建て”に近づけた大改革
“定額+報酬比例(2階建て)へ”
- それまで報酬比例だけだった老齢年金を、定額部分+報酬比例部分に(障害・遺族も同様)
- 支給開始年齢(男子)を55歳→60歳へ段階的に引上げ
- 保険料率も将来の引上げ見通しを作り、制度再建を図る
「もらえる年金」は働き方(報酬)と共通の最低保障(定額)の組み合わせへ。
1959〜1961年:国民皆年金(全国民を対象に)
“自営業・農業も含めて、全員の老後所得保障へ”
- 当時は自営業・農業従事者などに公的年金がなかった
- 1959年:国民年金法制定
- 1961年:拠出制の国民年金が実施され、「国民皆年金」が実現
- 国民年金は定額保険料+免除制度、国庫負担も組み込んで開始
「会社員じゃない人」も含めて、老後の最低ライン(基礎の考え方)が全国に広がった。
※その後、国籍要件が撤廃され、現在は日本に居住するすべての人が国民年金の対象という説明もされています。
1965〜1966年:1万円年金(厚生)/夫婦で1万円(国民年金)
“経済成長に合わせて、年金額を「見える目標」に引き上げた”
- 1965年改正:平均的な標準報酬月額の人が20年加入で月1万円を目標に(「1万円年金」)
- 同時に保険料率も引上げ(男子3.5%→5.5%など)
- 在職でも65歳以上は年金の一部を支給する在職老齢年金の導入
- 1966年(国民年金):25年納付で月5,000円 → 夫婦で「1万円」へ
「年金で生活の一部を支える」という現実的な水準づくりが進み、働きながら受け取る発想も登場。
1973年:物価スライド&標準報酬の再評価(超重要)
“物価が上がっても年金が置いていかれない仕組みを入れた”
- 年金額の物価スライド制を導入(物価変動に応じて改定)
- 過去の低い賃金(標準報酬)を、現役賃金の伸びに応じて再評価
- 給付水準の大幅引上げ(例:標準的な年金額の目安などの提示)
インフレが来ると「名目は同じでも実質が減る」ので、物価連動の考え方は老後生活の安定に直結。
1985年:基礎年金の導入(“今の形”の土台)
“全国民共通の土台(基礎年金)+上乗せ(厚生年金)に整理した”
- 当時の制度は分立していて、格差や重複給付・財政不安定の課題
- 全国民共通の基礎年金を創設
- 厚生年金などは基礎年金に上乗せする2階部分の報酬比例年金として再編
- 専業主婦などを第3号被保険者として位置づけ、個人名義の基礎年金を持つ設計へ
結婚・出産・転職などで働き方が変わっても、年金の“土台”を持ち運ぶ考え方が強化された。
1994年:支給開始年齢の引上げが“本格的に進む”
“長寿化に合わせて「もらい始め」を遅らせる方向へ”
- 特別支給の老齢厚生年金の定額部分の支給開始年齢を段階的に65歳へ(男女で時期差あり)
- 在職老齢年金を見直し、賃金が増えても合計が増えない仕組みを改める
- 可処分所得スライド、ボーナスからの保険料(特別保険料)導入、育休中の本人保険料免除なども実施
「60代前半の年金の位置づけ」が変化。働き方・受給の組み合わせがより重要に。
2000年:給付の伸びを抑え、将来の保険料の上限を意識
“将来の負担が増えすぎないように、給付側も調整した”
- 将来の保険料率(負担)を抑える観点から、給付総額を将来に向けて抑制
- 支給開始年齢の引上げ、65歳以降の改定ルールの見直しなど
- 経過措置を設け、改正前の年金額を下回らない配慮も
「年金だけで完結」は難しくなる前提が強まり、自助(貯蓄・働く・私的年金)の重要度が上がる。
2004年:見通しを立てやすくする“新しい枠組み”
“不安を減らすために、長期の財政ルールを導入した”
- それまでの「5年ごとの見直し」だけだと、若い世代が見通しを持ちにくいという課題
- 国民年金・厚生年金で、給付と負担の在り方を見直す方法を導入
- その後、基礎年金の国庫負担割合を2分の1へ引上げ(段階的→恒久化)
制度の持続性を強める一方で、「将来の受給水準」は経済・人口に応じて調整されうる、という考え方が明確に。
2007年〜:年金記録問題→信頼回復の時代
“制度の中身だけでなく、記録と運用も重要になった”
- 年金記録問題が明らかになり、記録訂正や信頼性確保のための対応
- 2010年に日本年金機構が設立され、運営体制も再編
「制度がどうであれ、自分の記録が正しくないと損する」が現実に。だから確認が大事。
2025年:年金制度改正法(機能強化)
“働き方が多様な時代に合わせて、加入・給付の設計をアップデート”
- 被用者保険の適用拡大(加入対象を広げる方向)
- 在職老齢年金制度の見直し
- 遺族年金制度の見直し
- 標準報酬月額の上限の段階的引上げ
- iDeCoの加入可能年齢の引上げ
- 将来の基礎年金の給付水準の底上げ(修正で追加)
「働きながら・家族形態が多様でも」老後の土台が途切れにくい方向へ。会社員以外でも“年金の得”を取りに行く時代。
3. 歴史から見える“結論”|年金はこういう制度
- 結論①:年金は「固定のルール」ではなく、人口・経済・働き方に合わせて調整される
- 結論②:改正の軸はだいたい①対象を広げる ②給付を整える ③持続性を上げるの3つ
- 結論③:老後の安心は「制度任せ」ではなく、制度を理解して使いこなす人ほど強い
4. 今日からできる“超実務”|年金はまず「見える化」
歴史を知ったら、次は自分ごと化です。
4-1. ねんきんネットで「記録」と「見込額」を確認
- 自分の年金記録の確認
- 将来受け取る年金見込額の確認
- 電子版ねんきん定期便の確認
4-2. 不安があるなら、公的窓口・専門家へ
- 年金事務所/ねんきんダイヤル(日本年金機構)
- 消費生活センター(勧誘トラブル等がある場合)
- 税や家計設計は税理士・FPなど
まとめ|「一言で言うと」日本の年金史は“拡大→充実→調整”
- 1942:労働者向けにスタート
- 1961:国民皆年金で全国民へ
- 1965/1973:年金水準の引上げ・物価スライドなどで生活を守る設計へ
- 1985:基礎年金で「共通の土台」完成
- 1994〜:高齢化に合わせて支給開始年齢・在職・財政枠組みを調整
- 2025:多様な働き方・家族形態に合わせて機能強化
参考資料・リンク(公的機関中心)
免責事項
本記事は、公的機関等の公開情報をもとに作成した一般的な解説であり、特定の個別事情に対する助言ではありません。年金の受給・手続・税金・家計設計は個人の状況により異なるため、必要に応じて日本年金機構(年金事務所等)や専門家へご相談ください。
更新履歴
- 初版公開:2025年11月26日
